叔父一家のがん闘病について書きたいと思います。
叔父は陽気でお酒が好きな人でした。叔母も豪傑なタイプで、いつも笑いの絶えない一家でした。大好きな叔父一家には子供がおらず、私を娘のようにかわいがってくれていました。そんな叔父が精密検査で肝臓がんと宣告されたのは、50代半ばになってからでした。
職場の健康診断でも肝臓の数値が指摘されていたにも関わらず、叔母の忠告も聞かず、なかなか病院を受診しなかったのです。顔色も悪くなってくすんだ肌色になってきてから病院を受診。その時には、もう叔父の肝臓はボロボロでした。手の施しようがなく内服しながら通院し、死を待つことになりました。
それでも叔父は陽気でした。そして好きなお酒をやめることもしなかったのです。叔母の話では内服もあまりしていない様子でした。自由に生きる叔父らしいといえば叔父らしかったのかもしれません。陰で叔母が泣いていたのを叔父は気が付いていたでしょうか。
医師も諦めていたのかもしれませんが、一度診察に付き添った際には医師は、お酒を飲んだり内服しない叔父を責めるわけでもなく、楽しそうに会話していました。叔父は手術もできず助からない患者です。こんな風に患者の気持ちを和らげるのも医師の仕事なのかもしれません。
叔父はそんな生活を2年近く続けたのち、割と穏やかに旅立ちました。叔母の心労は計り知れませんが、叔父は最後まで叔父らしい生き方をしたと思っています。